2012年03月14日

いきいき健康で暮らしたい。

歳を重ねるごとに健康への不安も大きくなってきます。
人間の身体も機械です。
機械は長い間使用していると部品も劣化してきます。
部品の交換ができれば良いのですが人間の身体は交換ができません。
油を注さねばいけない箇所も増えてきます。


身体のケアは慎重にかつ十分にする必要があります。
身体から発せられる色々な信号を早めにキャッチして予防なり治療をしていかなくてはいけません。
PHPから発行された『いきいき健康ハンドブック』を参考にしながら書いていこうと思います。


最近私は食べ物を飲み込むときに気管の方へ入りそうになってむせることが良くあります。
嚥下障害かな?と思うのですがそこまでの状態ではないのでしばらく様子を見ようと思います。
ところで“食べ物がのどにつかえる”という症状には以下のことが考えられるそうです。


食べ物のつかえは主として食道の病気が考えられますが、食堂の近くにある甲状腺や肺などの病気による圧迫が原因となっていることもあります。喉頭異物感といって神経質な人に起きる症状もあります。


注意すべきは、のどから胃にかけて違和感を生じたり食べ物を飲み込むときに実際につかえる。
特に固形物がひっかかる感じがあるときには、食道ガンの可能性もあります。


食道ガンを自分で見つける方法としては直径1.5センチくらいの白玉団子を丸飲みしてみてつかえる感じや異物感があれば医師に相談することが大切です。

2012年03月09日

なでしこ宮間キャプテン

なでしこジャパンは国際親善大会「アルガルベカップ」で惜しくもドイツに敗れて準優勝でした。
優勝こそできませんでしたが私が大ファンの宮間あや選手が質の高いプレーが評価されて大会MVPに選ばれたのは嬉しかった。


宮間選手はなでしこジャパンの中心選手として他の選手とは別格のように思います。
クレバーで冷静沈着なプレーとさらに日頃のサッカーに対するひたむきさはまさに日本選手のお手本です。


去年7月にワールドカップで優勝した際宮間選手の所属する地元の岡山県美作市で行われた祝賀パレードを見に行きました。
これがその時の写真。左は同じ代表選手のGK福元選手。
今回はアメリカ戦で出場しました。


nadesiko1.jpg

2012年03月05日

71歳でオリンピック選手

ロンドン五輪の馬場馬術代表に70歳の法華津寛さんが決まったということです。
オリンピック開催時には71歳になるそうです。


“老いて益々盛ん”とはこの法華津さんのような人を指すのでしょう。
そして法華津さんはインタビューで語っておられます。


『歳を取っていることに感謝している』
確かに自身の最年長記録を塗り替えることで注目を集めているわけですから・・。


またこうも言われています。
『年齢がいっても続けていればそれなりの結果が出ることを伝えたい』
まさに継続が力になり。
続けることで結果が出ることをモチベーションにして日々頑張りましょう。

2012年02月23日

高齢者とは?

一体『高齢者』とは何歳からを言うのだろうか?
国の考え方からいうと65歳からのようですが、道路交通法によれば70歳過ぎたら高齢運転者標識という、いわゆる「四つ葉のクローバー」マークを貼ることが一応決められているようです。
では『敬老の日』の敬老の対称年齢は何歳なのか?


今日のニュースによると、65歳以上を一律に「高齢者」として「支えが必要な人」と捉える固定観念を見直して、健康で意欲と能力のある65歳以上の人には、支える側にまわってもらうということのようです。


これは適齢の高齢者にとって喜んでいいのか・・・?
高齢者とは自分が高齢者だと思い始めたらそこから高齢者になるのでしょう。

2012年02月04日

『三屋清左衛門残日録』

私は藤沢周平さんの小説のファンです。
薫り高い平易な文体で日常の暮らしの中の風景を描写します。


その藤沢作品にハマるきっかけの作品が『三屋清左衛門残日録』です。
主君の側用人という重職までなった三屋清左衛がその職を辞してからの日常生活を短編で連ねたものです。


文庫本の初めのころを少し長めに引用させてもらいますと・・・


『・・・したがって、隠居して勤めをひき、子供に家を譲ることについては、仕事の上の心残りも余分な感傷の類も一切なかったつもりである。
隠居してあとは悠悠自適の晩年を過ごしたいと心からのぞんでいたのだ。
清左衛門が思い描いている悠悠自適の暮らしというのは、たとえば城下周辺の土地を心ゆくまで散策するというようなことだった。


散策を兼ねて、たまには浅い丘に入って鳥を刺したり、小川で魚を釣ったりするのもいいだろう。
記憶にあるばかりで久しく見る機会もなかった白い野ばらが咲きみだれている川べりの道を思いうかべると、清左衛門の胸は小さくときめいた。


ところが、隠居した清左衛門を襲って来たのは、そういう開放感とはまさに逆の、世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情だったのである。
そして、その奇妙な気持の萎縮が、数日して自然に消えたとき、清左衛門はそのものがどこから来たかをいささか理解出来た気がしたのだった。


隠居をすることを、清左衛門は世の中から一歩退くだけだと軽く考えていた節がある。
ところが実際には、隠居はそれまでの清左衛門の生き方、ひらたく言えば暮らしと習慣のすべてを変えることだったのである。


勤めていたころは、朝目ざめたときにはもうその日の仕事をどうさばくか、その手順を考えるのに頭を痛めたのに、隠居してみると、朝の寝ざめの床の中で、まずその日一日をどう過ごしたらいいかということから考えなければならなかった。


君側の権力者の一人だった清左衛門には、藩邸の詰所にいるときも藩邸内の役宅にくつろいでいるときも、公私織りまぜておとずれる客が絶えなかったものだが、いまは終日一人の客も来なかった。


清左衛門自身は世間と、これまでにくらべてややひかえめながらまだまだ対等につき合うつもりでいたのに、世間の方が突然に清左衛門を隔ててしまったようだった。多忙で気骨の折れる勤めの日日。
ついこの間まで身をおいていたその場所が、いまはまるで別世界のように遠く思われた。


その異様なほどの空白感が、奇妙な気分の原因にちがいないと清左衛門は納得したのである。
そしてむかしにもどることが出来ないとすれば、その空白感は何かべつのもので、それも言えば新しい暮らしと習慣で埋めて行くしかないことも理解出来た。
うかうかと散歩に日を過ごすわけにもいかぬらしいと、清左衛門は思ったのである』・・以上転記


そして清左衛門の隠居後の生活がスタートします。
友人の 町奉行が抱える事件や、昔通った剣道の道場を覗いたり、知人やかつての同僚が絡む事件の解決に奔走したりと、老後をそれなりに充実して送ることになります。


私は友人から定年の通知を受け取ると決まって、この『三屋清左衛門残日録』を贈りました。


2009年08月27日

定年後の暮らし

定年後の人生といいますと、第二の人生とか、老後とか言いますが、一般的には夫が60歳に達して定年になって身も心も勤め先から解放されて自由になったときからと言えます。


いよいよ“我が人生”も最終章と言いますか、ホームストレッチに差し掛かったと言いますか、とにかく「終わりよければ全てよし」と思って、終わりをよくするためにこれからをいかに“よく生きるか”を考えてみましょう。


終りよくするためには・・・・まず

● 健康
● 生活費
● 趣味・生きがい
● 夫婦のコミニケーション


これらがうまく調和がとれていることが大切なことです。
これからこれらの問題を“定年後の悩み”として取り上げていこうとおもいます。


かくいう私も3年前に定年になりました。
それからパソコンを自習し、ブログに挑戦しようと決心したところです。


今後ともよろしくお願いいたします。