2012年08月29日

買い物難民

高度に発達した先進国の日本に難民が存在する。
その名も“買い物難民”。
高齢者になると買い物に行くのが困難になります。


自家用車も乗れない、自転車も乗れなくなったら歩いて買い物に行くのも500m以上歩くことはむつかしい。
さらに買った物を手に持って歩くことは不可能になってきます。
そして買い物に出られない難民となるようです。


他人事ではありません。何年後かの我が身かも・・
解決法の一つがインターネットでの日用品や食料品の購入だそうです。
なんにもできなくなってもネットができれば買い物難民にはならなくてすみそうです。


2012年08月24日

ボケの兆候?

A4サイズの茶封筒を買いに100円ショップに行った。
店内を見ていたら温度計が売られていたので我が部屋の温度を知りたくて買って帰る。


さてどこに下げようかと室内をキョロキョロ。
ん?・・・
あるではないか!それも部屋に入っていつも点けるスイッチの隣に。
自分で取り付けておきながら全く覚えていない。


105円の出費が痛いのか、このボケ具合が痛いのか?
左がずっと掛っている温度計。右が100円ショップで買ってきた温度計。



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2012年08月06日

曾木の滝

先月の終わりごろ大雨が続いた後の南九州をドライブしました。


私は鹿児島県の伊佐市大口の曾木の滝がもっともっと名前がうれても良いのにと日頃から思っている。
雄大な広がりをもった滝は東洋のナイアガラと言われる。


実際のナイアガラは観たことはないのですが突然目の前に現れる滝の姿は別世界に入ったような気分になれる。
大雨の後だったので水量が多かったのですがそのぶん水は濁流となって轟音とともに落下していました。


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2012年05月20日

道の駅のキップ

「道の駅」にはキップがある。「駅」と名前が付いているので当然と言えば当然なわけで、僕はその「道の駅」のキップ蒐集するのを趣味としている。
旧国鉄時代にあった硬券のキップと同じものです。1枚160円。
ところが当然あるべきその道の駅にキップがありません。
僕の感じでは道の駅の中の2割程度しかキップを作っていないように思う。


なぜ駅なのにキップがないのか?
たぶん160円だけであまり儲けになるものでもないから売る意欲が起きないのだと思う。


僕は中国地域のキップはほぼ全部集めている。
ただ毎年何か所かの新規オープンの道の駅がある。
毎年発行される道の駅の本を見ればわかるのだがここ2年ほど購入していないので新規にオープンした道の駅にキップがあるのかどうかは行って売店で訊かないことには分からない。


そこで今日は三原市の「みはら神明の里」と竹原市の「道の駅 たけはら」に行った。
売店でキップがある?と訊くと「ありません」とすげない返事。
逆に「どんな大きさですか?」なんて訊かれる始末。


やっぱり「道の駅のキップ」はマイナーなんだなぁ〜と思う。
目下100枚あたりからここ1年ばかり足踏み中です。


 
蒐集した道の駅 キップの一部 ↓↓↓
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2012年05月16日

旅の日

ドライブ中にラジオが今日は5月16日で“旅の日”だと言っていました。
なんでも松尾芭蕉の「奥の細道」への旅立ちを新暦に直せば5月16日に当たるのだそうです。


『旅』から連想するイメージにはどんなものが浮かんできますか?
名所旧跡を巡る旅とか大自然にふれる旅、温泉を巡る旅、そういうストーレートに浮かんでくる旅もあれば人生そのものが旅だという考えもあります。
妻との二人三脚も夫婦の旅なのかも。


『旅』と『旅行』は違うのでしょうか?
『旅』から受けるイメージはどちらかと言うとアナログ的。
『旅行』はデジタル的な印象を受けます。


『旅行』には行程がキッチリ決まっていて目的地に行って帰ってくることが決まっている。
『旅』には行程も決まっていないで帰ってくるのかどうかも分からない、それこそ「あてのない」のが旅というイメージです。


その「あてのない」ところが人生と重なるのでしょうか。
人生にも行程がありません。元の場所に帰ることもありません。
戻れないけど戻りたい青春時代のあの頃へ・・・



2012年04月26日

2.5ボタン付シャツ

2.5ボタン付シャツというのがあったんですね。私は知りませんでした。(遅れてる〜)
最近はクールビズとか節電とかで真夏のビジネスマンはノーネクタイが認められるようになりました。
ところがワイシャツの第1ボタンを外しただけでは風が入らないので第2ボタンも外したい。


だけどそうなると第3ボタンまでの間で肌着が覗いたりで見苦しくなるのでやはり第1ボタンまでで辛抱していました。
そこへ2.5ボタンと言って第2ボタンと第3ボタンの間に2.5ボタンがあれば第2ボタンも外せます。


この2.5ボタンのあるシャツは3年以上前から販売されていたようです。
年金生活になって、あまりビジネスマンが出入りするような場所に行かなくなっていたもので知りませんでした。
でもこの2.5ボタンのシャツは暑さとオシャレ対策にありがたいシャツですね。

2012年04月25日

なごり桜

桜のシーズンも終わりそうです。
それでも“なごり雪”ならぬ“なごり桜”がぽつぽつと山の中腹に見られます。


その山々も桜の終わるのを待ちかねたように若葉の緑に染まりはじめました。
さらに花は桜からバトンタッチされた“つつじ”や“ハナミズキ”やがピンクや白色で競っています。


そういえば今日のドライブで海棠の花も満開になってこれは賑やかなピンク色になって枝から
こぼれそうに鈴なりに咲いていました。
さらに桃や梨にも花が咲いています。
しばらくはドライブの道筋で木に咲く花を楽しめます。


温かいと言うより暑いという気温で今日我が家の今の電気こたつも片付けました。
一気に冬の暮らしから夏へのスタイルに転換中です。

2012年04月22日

“アルハラ”とは?

“アルハラ”と言う言葉があるそうです。
春は花見や行楽のシーズンでさらに企業では新入社員の歓迎会や大学では新入部員の歓迎コンパが盛んにおこなわれる時期です。
当然お酒が主役です。お酒は一気に硬さをほぐして打ち解ける最高のツールと言えます。


ところがそんなお酒も人によって強い人や弱い人、さらに全然ダメな人もいます。
しかしそんなことはお構いなしに『飲め、飲め』と無理に飲まそうとする先輩や上司がいるものです。
そういう無理にアルコールを飲まそうとすることを“アルコールハラスメント”略して“アルハラ”と言うそうです。


私も大昔のこと大学である運動部に入部したとき歓迎コンパでさんざん一気飲みや無理強いされて意識不明になってあくる朝気が付いたら学生寮でした。
その日は終日二日酔いで気分が悪くおかげで以後はアルコールがあまり飲めなくなりました。


部下や後輩と言った立場だとなかなかお酒を断るのは難しいことです。
その一つはやはりまだ相手の性格や人間性を解っていないので断ることで今後の交際に悪影響が出るとの思いや座がシラケルと言う思いがあるからでしょう。


最近はお酒の無理強いを笑いで断るスマートフォン向けの無料アプリも出たと言うことですが軽くしかもキッパリと断る勇気も必要かも・・。
それも案外『おっ、コイツは骨のある奴だ』と見直されるかもわかりません。

2012年04月07日

“ムッシュはつらいよ”

“ムッシュはつらいよ”のリチャード・ギアのCMがおもしろい。
子供の笑い声に誘われるように見るたびに笑ってしまいます。


寅さん役のリチャード・ギアが若いウェートレスから投げキッスを送られたと勘違いしていたらなんと彼のすぐ後ろに座っていた若い男性に送ったものだった。
それを見ていた子供に大笑いされます。
寅さんの勘違いに良く似ていますね。そして寅さんならここから悲劇とも喜劇とも言うドラマが始まります。


若い頃の男ならこんな勘違いをたまにはしたのではないかな。
それこそ自惚れというものです。


それにしてもこのCM、リチャード・ギアが主役なのでしょうがあの子役がリチャード・ギアを完全に食っていますね。
あの笑い声に誘われて何度でも笑っています。

2012年04月03日

1958年

週刊新潮の記事で懐かしい昭和33年ごろの団地のことを書いていました。
当時は畳の部屋で食卓やちゃぶ台を出してご飯を食べたらそれを片付けて一家団欒。
そしてそこへ布団を敷いて寝る生活が多かったようです。(我が家もそうだった・・・)


だからダイニングキッチンを含む2DK「食・寝分離」が憧れの時代。
ステンレスの流し台に風呂、水洗トイレの団地生活は夢でした。


1958年当時の公務員の初任給が1万円。銀行員が1万数千円。
その中で東京多摩平団地の2DK(43平米)が5500円。3K(49平米)6300円。
そして団地の入居資格には月収が家賃の5.5倍以上。


そして当時の日本中で電気洗濯機が2軒に1台。電気炊飯器が3軒に1台。
電気冷蔵庫が7軒に1台。白黒テレビ14型が6万5千円で普及率が15%。
それでも家電製品の普及で家庭の配線が不足してたこ足配線でした。


ちなみにこの年の出来事で記憶に残っているのは巨人・長嶋茂雄選手の4打席4三振デビュー。
東京タワー竣工。富士重工業が「スバル・360」を発売。
そして本田技研工業が「スーパーカブ」を発売したのもこの年だったようです。


それから54年が経ちました。
日本はすっかり変わりました。当然と言えば当然なのでしょう。
我々も54年の間に学校を出て社会人となり結婚して子供ができその子供も結婚して
今や孫の守も終わりそうになっているのですから。

2012年03月14日

いきいき健康で暮らしたい。

歳を重ねるごとに健康への不安も大きくなってきます。
人間の身体も機械です。
機械は長い間使用していると部品も劣化してきます。
部品の交換ができれば良いのですが人間の身体は交換ができません。
油を注さねばいけない箇所も増えてきます。


身体のケアは慎重にかつ十分にする必要があります。
身体から発せられる色々な信号を早めにキャッチして予防なり治療をしていかなくてはいけません。
PHPから発行された『いきいき健康ハンドブック』を参考にしながら書いていこうと思います。


最近私は食べ物を飲み込むときに気管の方へ入りそうになってむせることが良くあります。
嚥下障害かな?と思うのですがそこまでの状態ではないのでしばらく様子を見ようと思います。
ところで“食べ物がのどにつかえる”という症状には以下のことが考えられるそうです。


食べ物のつかえは主として食道の病気が考えられますが、食堂の近くにある甲状腺や肺などの病気による圧迫が原因となっていることもあります。喉頭異物感といって神経質な人に起きる症状もあります。


注意すべきは、のどから胃にかけて違和感を生じたり食べ物を飲み込むときに実際につかえる。
特に固形物がひっかかる感じがあるときには、食道ガンの可能性もあります。


食道ガンを自分で見つける方法としては直径1.5センチくらいの白玉団子を丸飲みしてみてつかえる感じや異物感があれば医師に相談することが大切です。

2012年03月09日

なでしこ宮間キャプテン

なでしこジャパンは国際親善大会「アルガルベカップ」で惜しくもドイツに敗れて準優勝でした。
優勝こそできませんでしたが私が大ファンの宮間あや選手が質の高いプレーが評価されて大会MVPに選ばれたのは嬉しかった。


宮間選手はなでしこジャパンの中心選手として他の選手とは別格のように思います。
クレバーで冷静沈着なプレーとさらに日頃のサッカーに対するひたむきさはまさに日本選手のお手本です。


去年7月にワールドカップで優勝した際宮間選手の所属する地元の岡山県美作市で行われた祝賀パレードを見に行きました。
これがその時の写真。左は同じ代表選手のGK福元選手。
今回はアメリカ戦で出場しました。


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2012年03月05日

71歳でオリンピック選手

ロンドン五輪の馬場馬術代表に70歳の法華津寛さんが決まったということです。
オリンピック開催時には71歳になるそうです。


“老いて益々盛ん”とはこの法華津さんのような人を指すのでしょう。
そして法華津さんはインタビューで語っておられます。


『歳を取っていることに感謝している』
確かに自身の最年長記録を塗り替えることで注目を集めているわけですから・・。


またこうも言われています。
『年齢がいっても続けていればそれなりの結果が出ることを伝えたい』
まさに継続が力になり。
続けることで結果が出ることをモチベーションにして日々頑張りましょう。

2012年02月23日

高齢者とは?

一体『高齢者』とは何歳からを言うのだろうか?
国の考え方からいうと65歳からのようですが、道路交通法によれば70歳過ぎたら高齢運転者標識という、いわゆる「四つ葉のクローバー」マークを貼ることが一応決められているようです。
では『敬老の日』の敬老の対称年齢は何歳なのか?


今日のニュースによると、65歳以上を一律に「高齢者」として「支えが必要な人」と捉える固定観念を見直して、健康で意欲と能力のある65歳以上の人には、支える側にまわってもらうということのようです。


これは適齢の高齢者にとって喜んでいいのか・・・?
高齢者とは自分が高齢者だと思い始めたらそこから高齢者になるのでしょう。

2012年02月04日

『三屋清左衛門残日録』

私は藤沢周平さんの小説のファンです。
薫り高い平易な文体で日常の暮らしの中の風景を描写します。


その藤沢作品にハマるきっかけの作品が『三屋清左衛門残日録』です。
主君の側用人という重職までなった三屋清左衛がその職を辞してからの日常生活を短編で連ねたものです。


文庫本の初めのころを少し長めに引用させてもらいますと・・・


『・・・したがって、隠居して勤めをひき、子供に家を譲ることについては、仕事の上の心残りも余分な感傷の類も一切なかったつもりである。
隠居してあとは悠悠自適の晩年を過ごしたいと心からのぞんでいたのだ。
清左衛門が思い描いている悠悠自適の暮らしというのは、たとえば城下周辺の土地を心ゆくまで散策するというようなことだった。


散策を兼ねて、たまには浅い丘に入って鳥を刺したり、小川で魚を釣ったりするのもいいだろう。
記憶にあるばかりで久しく見る機会もなかった白い野ばらが咲きみだれている川べりの道を思いうかべると、清左衛門の胸は小さくときめいた。


ところが、隠居した清左衛門を襲って来たのは、そういう開放感とはまさに逆の、世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情だったのである。
そして、その奇妙な気持の萎縮が、数日して自然に消えたとき、清左衛門はそのものがどこから来たかをいささか理解出来た気がしたのだった。


隠居をすることを、清左衛門は世の中から一歩退くだけだと軽く考えていた節がある。
ところが実際には、隠居はそれまでの清左衛門の生き方、ひらたく言えば暮らしと習慣のすべてを変えることだったのである。


勤めていたころは、朝目ざめたときにはもうその日の仕事をどうさばくか、その手順を考えるのに頭を痛めたのに、隠居してみると、朝の寝ざめの床の中で、まずその日一日をどう過ごしたらいいかということから考えなければならなかった。


君側の権力者の一人だった清左衛門には、藩邸の詰所にいるときも藩邸内の役宅にくつろいでいるときも、公私織りまぜておとずれる客が絶えなかったものだが、いまは終日一人の客も来なかった。


清左衛門自身は世間と、これまでにくらべてややひかえめながらまだまだ対等につき合うつもりでいたのに、世間の方が突然に清左衛門を隔ててしまったようだった。多忙で気骨の折れる勤めの日日。
ついこの間まで身をおいていたその場所が、いまはまるで別世界のように遠く思われた。


その異様なほどの空白感が、奇妙な気分の原因にちがいないと清左衛門は納得したのである。
そしてむかしにもどることが出来ないとすれば、その空白感は何かべつのもので、それも言えば新しい暮らしと習慣で埋めて行くしかないことも理解出来た。
うかうかと散歩に日を過ごすわけにもいかぬらしいと、清左衛門は思ったのである』・・以上転記


そして清左衛門の隠居後の生活がスタートします。
友人の 町奉行が抱える事件や、昔通った剣道の道場を覗いたり、知人やかつての同僚が絡む事件の解決に奔走したりと、老後をそれなりに充実して送ることになります。


私は友人から定年の通知を受け取ると決まって、この『三屋清左衛門残日録』を贈りました。


2009年08月27日

定年後の暮らし

定年後の人生といいますと、第二の人生とか、老後とか言いますが、一般的には夫が60歳に達して定年になって身も心も勤め先から解放されて自由になったときからと言えます。


いよいよ“我が人生”も最終章と言いますか、ホームストレッチに差し掛かったと言いますか、とにかく「終わりよければ全てよし」と思って、終わりをよくするためにこれからをいかに“よく生きるか”を考えてみましょう。


終りよくするためには・・・・まず

● 健康
● 生活費
● 趣味・生きがい
● 夫婦のコミニケーション


これらがうまく調和がとれていることが大切なことです。
これからこれらの問題を“定年後の悩み”として取り上げていこうとおもいます。


かくいう私も3年前に定年になりました。
それからパソコンを自習し、ブログに挑戦しようと決心したところです。


今後ともよろしくお願いいたします。