2017年01月29日

『君の名は』

最近『君の名は。』というアニメが大流行らしい。読んだことも観たこともないのでなんのことだかわからない。
だけど『君の名は』なら知っている。
僕がまだ小学生のころで、ドラマの内容はわからなかったが、『忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ』というナレーションだけはよく覚えている。
小学校の職員室で女の先生が昨日ラジオで聴いた『君の名は』の話をしていた。

『君の名は』のことを調べようとyahooの検索に入れても『君の名は。』ばかりがずらりと並ぶ。
君の名は 菊田一夫と入力したら昔の君の名はがやっと出た。

2017年01月26日

マッチ

灯油ストーブの着火装置が故障したのでマッチで火をつけようと思ってマッチを探したがどこにあるのやら。
そういえば最近マッチを使うことがなくなった。たいていが自動点火だし、火鉢に炭を熾すこともない。

ヘビースモーカだった15年前ならまだ時々マッチをポッケに入れていたけど今はそれもない。
昔は喫茶店にはどこでも自分の店オリジナルのマッチを作っていたものだ。
最近喫茶店でマッチを要求しても「ありません」と言われるのがオチ。
マッチという言葉も死語になりつつあるのか。
| 死語

2017年01月08日

5年にするか10年か?


知り合いの会社のマレーシア工場がこのほど増築工事が完成。
竣工式があるので夫婦で参加することにした。

ところがパスポートが切れていた。
再発行するのについて期限を5年にするか10年にするか?
5年と言えば80歳を超えている。
だったら5年にしとこうと妻に言ったら『私は10年にする』。
85歳になってもまだ海外に行く元気があるのかなあ。
それにしても今頃気が付いた。あと5年で80歳を超えていることに・・・


2017年01月06日

何歳から高齢者?

今日のニュースに高齢者の定義を10歳延ばして75歳からにする案が浮上しているとあった。

確かに65歳から高齢者扱いはちょっと早い気がする。

僕の祖父は僕が中学校の2年生のとき75歳で亡くなった。

老衰による大往生と当時言われた。確かに中学生の僕から見て祖父はまさにおじいさんだった。


僕も今その歳になってみると、あの時のおじいさんよりはるかに若い気がする。

食生活を含めて日々の暮らしが当時は空想もできないぐらい向上した結果。

でもこれが幸なのか不幸なのかは分からない。


なぜならそれは、誰かが言っていたように寿命が延びたからと言っても、その延びた年数は、個々の人生で幼少期、青春期、壮年期、などにそれぞれ按分するのではなく、老年期だけにプラスされるのだから。

と言うことは、老年期だけがどんどん延びることになる。

益々老年時代をどう過ごすかが問われる。


2016年10月13日

喫煙BOX

今日のテレビで一人用の喫煙BOXなるものを放映していた。まるで公衆電話BOXみたい。
一人入るのがギリギリやっと。
これどこに置くのだろう?喫煙できない場所の片隅にでも置くのかな。
それにしても喫煙者の身の置きどころが益々なくなりつつある。

かく言う私も40年以上連れ添った50本以上のヘビースモーカーが10年ほど前に禁煙した。
私の場合は禁煙外来に通ってニコチンパッチを貼って何とか禁煙できたけど辛かった!

私たちが学生時代殆どの男子が吸っていた。通学の列車でも煙が充満していた。
さすがに授業中は吸えなかったけどたいていの場所でスパスパ。
吸い始めて間もなくハイライトが発売された。確か20本入りが70円だった。
でも吸うのは“しんせい”が多かった。ちょっと贅沢して“ピース”を持っていると『おっ!』などと言って周りから手が伸びてすぐなくなる。

しかし時代は大きく変わって今や愛煙家は白い目で見られているみたい。
喫煙していたら傍から離れていく。
愛煙家はたばこ税をしっかり払って吸っているのだから、本当は感謝されても良さそうなのに・・・
とは言ってもあの煙の匂いはどうも頂けない。これは禁煙して初めて分かったこと。

2016年10月09日

秋祭り

祭りの太鼓の音が遠くで、近くで聞こえている。子供の頃は神輿の後ろを付いて部落中を歩いたものだ。

青年時代は都会で就職していたので神輿の担ぎ手にはならなかった。
しかし最近の我が町の祭りはなんだか静かになってしまって昔の活気がない。
ただ子供神輿だけは相変わらず『ワッショイ!ワッショイ!』と元気よくまわっている。

足首にギブスをして松葉づえ生活なので動きがとれない。写真を撮って張り付けたくても写真が撮れない。




2016年10月07日

気まぐれで再開です。

 何年もほったらかしていたHPやブログがあったのだけどログインのIDやPWがさっぱりわからない。そんな中でこのサイトにログインできたので、このブログをまたまた再開します。

 なぜ再開する気になったのかというと、先週庭木の剪定をしていて2mほどの高さのブロック塀に立って枝切りしていたらバランスが崩れて地面に飛び降りたら足首を骨折した。
整形でギブスをして松葉杖生活。トイレに行く以外は布団の横に置いたノートパソコンの前で時間潰し。You Tubeを見たり。それでも時間があるのでブログでも再開してみることにした。再開の動機がいい加減なものなのでどんなことになるのか成り行きまかせ。

 こうして書いている僕のパソコンからCDへ入れた歌が聞こえます。
プレスリーの『好きにならずにいられない』(Can't Help Falling In Love )・フランク・シナトラの『My Way』。誰が歌っているのかわからない『アンチェインド・メロディリ』(Unchained melody)・『金色の髪の少女』(Sister Golden Hair)等々。
これらの歌をよく聴いたのは高校時代だったかな?昭和の香り、いや我が青春時代の香りで気持ちが和みます。
 そういえば昨日のニュースで大阪万博の太陽の塔の内部が公開されていた。懐かしい。2歳になった長男を車に乗せて、当時暮らしていた名古屋から渋滞の名神を走り、大混雑の会場へ入ったことを思い出した。
そうだ、このサイトを借りてもう一度戻りたい昭和の時代を書いてみよう。

2014年09月26日

すごいぞ逸ノ城!

大相撲秋場所も13日目が終わった。
ここにきて俄然注目されてきたのが “逸ノ城”という幕内10枚目の力士。
大相撲ファンの僕ですら今まで知らなかった。(そういえば最近知らない名前の力士が多くなった)
全勝できて、七ヶ目に勢に負けたころから注目していたら実にどっしりとしてそのご負けない。
よく考えた負けない相撲をとっている。
横に変化したりはたいたりするところはまだこれからの力士としては感心しないが、とにかく強い。昨日の豪栄道との一番なんかどちらが大関なのかわからない取り口。

明日は白鳳との大一番があるようだ。横綱と平幕の十枚目の力士との取り組みが大一番なんて相撲界にしてみたら情けない話。
それにしても両者ともモンゴル出身。数えてみたら幕内力士の42人の内13人がモンゴル出身。
横綱は3人ともモンゴル出身力士。おそらく近い将来もう一人逸ノ城が横綱になっているだろう。

大相撲ファンとしては淋しいようでもあるけど、よくよく考えたら、今モンゴル力士がいなかったら大相撲は現在のような賑わいは見られなかっただろうと思う。
ファンからもかなり見捨てられて、場所の観客は席の半分も埋まらないのが常態化していただろう。
だから逆に考えたらモンゴル力士の活躍で今の大相撲が成り立っているようなものだと思える。
これは幸か?不幸か?いやいや何も考えずに単純に大相撲を楽しもう。
それにしても“逸ノ城”はすごい!

2014年09月07日

白菜が超高価

夏になって鍋をしなくなっていたので白菜をしばらく買っていなかった。

このブログ、1年半近くほったらかしにしていた。
気になっていたけどなかなか再開できなかったのに今日、スーパーで白菜を買ったらあまりの高さが私の書く気に火を点けてくれた。

今年の夏はどこも雨が多くて、日照時間不足で作物の生育が極端に悪い。
おかげで野菜が高くなっている。2割3割高とニュースが言っているけどきょう白菜を買って驚いた。
hakusai.jpg

なんと1/4の白菜が税別で198円!
ということは丸々1個分だと800円!。でもさすがに店頭にはこの1/4のものしか並んでいなかった。

3日前にキャベツを1/2玉買ったときにも税別138円で驚いたけど、今日はそれどころではない驚き。
3年前に1/2玉を税込78円で買った記録がある。これだと1/4が単純に39円。
白菜の漬物も高くなるだろうな。キャベツも高いからお好み焼き屋さんはどうするのかなぁ〜。

自然現象は冷酷かつ非情だといつも思うけど、今年の夏の大雨と日照不足による野菜の高騰は消費税の税率UPに自然現象が便乗しているのか。
| 自炊

2013年04月10日

コピ・ルアック

去年までよく通った喫茶店。久しぶりに立ち寄るとマスターがインドネシアへ行ってきたそうで、そこで有名なコーヒー豆の“コピ・ルアック”を持ち帰っていた。
私も話は聞いていたけど実物を見るのは初めて。


kopi.jpg



これは野生のマレージャコウネコが食料としてコーヒーの実を食べて、種子にあたるコーヒー豆は消化されずにそのまま排泄されるので、それを焙煎して飲む。
僕が見せてもらった“コピ・ルアック”はジャコウネコが排泄したまんまの、糞が付いたもの。
そしてこの“コピ・ルアック”を飲ませてもらった。


50年コーヒーを毎日飲んでいるのに“コピ・ルアック”の良さがわかりません。
妻はまんまの生豆を見た後だったので出されたコーヒーに尻込みしました。

2013年04月05日

花盛り

今日は久しぶりにドライブした。
郊外の畑は桃の花が満開。桜はどこを走っても至る所で満開の桜を見ることができる。
まだ梅の花も、幾分しおれそうになった椿もまだ見られる。
それにモクレンの白い花。白い花ならコブシの花も咲いている。
sakura.jpg

河土手には菜の花やレンゲにタンポポも。とにかくどこを走っても花盛り。
まさに春が来た!ことを実感する。


春が来た。という「来た」には歓びの感じが溢れている。
そして四季の内でも春だけ「来た」と付けるけど、夏にも秋にも冬にも後ろに「来た」と付けて歓ぶ話はあまり聞かない。
やはりそれだけ春が来るのは嬉しい気持ちが日本人にはあるのだろう。
この花盛り状態もこの週末辺りまでのようだ。

ボケの兆候?

ボケと物忘れの違いでよく言われるのが、夕食に何を食べたか思い出せないのが物忘れで、食べたかどうか分からないのがボケだとか。


私もそんなボケの兆しなのか、隔日に入る風呂で、昨日風呂に入ったかどうか思い出せない。
入ったようでもあるし、入ってないようでもある。


ここ数年排尿の調子がよくないので泌尿器科でユリーフ錠4mgという錠剤をもらって飲んでいる。
RIMG00061.jpg


これで排尿の具合はかなり良くなってきた。
これは朝夕の食後に服用するものだがよく飲み忘れる。
しばらくしてあれ?クスリ飲んだっけ?


飲んだようでもあるし飲んでないようでもある。
これもやはりボケの兆候なのだろうか?

2013年04月02日

長嶋さんに国民栄誉賞

長嶋茂雄さんに国民栄誉賞が贈られることになった。
僕は貰っているものと思っていた。遅すぎたくらいだ。


現在のプロ野球の隆盛の火付け役は長嶋さんだ。
もし、長嶋さんが現れていなかったら、現在のプロ野球はこんなに人気スポーツになっていなかっただろうと思う。


それまでにも人気の選手は多くいた。
川上哲治、千葉茂、青田昇、与那嶺要、杉田茂、そして金田正一。
与那嶺選手はよく打っていた記憶がある。ファンだった。
小学校から中学校とプロ野球は巨人だった。水原監督が好きだった。


日本の高度成長に合わせて長嶋が現れた。
僕には長嶋が日本の高度成長のエンジンの一つになったようにも思える。
この長嶋エンジンに火を点けたのが、昭和34年の忘れもしない展覧試合での阪神村上投手から打った劇的なサヨナラ本塁打だったと思う。
懐かしい・・・

2013年03月31日

サンクコスト

サンクコストという言葉が経済用語にあるらしい。
サンクとは埋没というのだそうで、いままでに払ってしまって今後回収できない費用を指す言葉だそうだ。


今までに払った金額が大きいほど、それを惜しむあまりその呪縛から抜けられない。
それは金銭ばかりでなく時間や日数、年月も含まれる。


例えば、高額の入会金を払って何かの会へ入会して、さらに年会費も払っていてもいつまで経ってもモノにならない。
本当はそこに至るまでに自分で見切る必要があるのだけれど、払った費用が高額なためズルズルと年会費を払い続ける。
そしてムダな出費がさらにかさむことになる。
現在、日本の家電業界がかつての巨額投資のサンクコストの呪縛から脱出できずに赤字が増えた。


これは自分の反省としてもピッタリ当てはまる。
考えてみれば、なんとサンクコストの多かった人生なのだろうかと幾分自虐的になる。
人生でもサンクコストがあるし、我が家のなかにも増えすぎた家財道具にもある。


これは高かったのだからと、使いもしないでタンスの肥やしになっている物がいっぱいある。
まさに始末に困っている。
断捨離とは、まずサンクコストの呪縛から抜け出すところから始めなければいけない。

2013年03月28日

ジャンボ宝くじ

2月の末に振り込みが何件かあったのでみずほ銀行に行った。入口の隣に宝くじ売り場があった。
何となく誘われるように、めったに買わないジャンボ宝くじを10枚買ってみた。
RIMG00071.jpg



宝くじは年に1回買うかどうかのペース。
そして買うときはバラで買うことにしている。連番で買うと組番号が一つなので当たりくじの組番号が違っていたら1枚見たらもうそれ以降の楽しみが半減する気がする。


買ったままで当たりくじを調べるのを忘れていた。
今日、グリーンジャンボの番号をネットで調べていたら6等の下2ケタ19番が1枚当たっていた!
それと7等の1番が1枚。


過去に何度もジャンボくじを買っても7等300円以外当たったことがなかった。
今日さっそく月末の振込に合わせて宝くじの窓口で2枚3300円を換金した。
元本3000円で1割の高配当。と言ったってわずか300円のプラス。
それでも今年は春から縁起がいいぞ!

2013年03月27日

『火車』宮部みゆきを読む

久しぶりに海音寺潮五郎さんの歴史小説が読みたくなって、まだ読んでいない作品を探しに本屋さんへ行ったのだが潮五郎作品は文庫本の棚にも全くなかった。


僕の知らない作家がふえている。
相変わらず東野圭吾の小説がたくさん並んでいる。僕は1冊も読んでいない。
宮部みゆきの本も結構置かれている。


宮部さんは大の藤沢周平ファンだと色々なところで書いている。
以前何かを読みかけてなかなか読みづらくて途中で投げ出して以来、1冊も読んでいなかったのだが何気なく手にしたのが、『火車』という小説。
これは山本周五郎賞作品だと書いてあった。


周五郎は昔かなり読んだので懐かしくなって『火車』を読む気になった。
読み始めると意表を突く展開から目が離せなくなって一気に読んでいた。
で、ふと思ったのがこの小説の主人公は誰なんだろう?


大きい流れは、公職中にケガをして休んでいる刑事の本間俊介が、親戚の若者に依頼されて突然失踪したその若者の婚約者を探すというもの。
その女性の名前は関根彰子といい、かつてカード破産者だった。女性の勤務先や破産の時の弁護士を訪ねて関根彰子を探す。


その時の弁護士の話として「自己破産は特に金銭にだらしのない人間がなるわけではない。いたって普通の、真面目な人が陥る事が多い」という部分は宮部さんがこの作品で言いたかったことなのかと思った。
作品の中でこの弁護士の言葉だけが妙に浮いていたように思った。


その弁護士に本間俊介が見せた新城喬子の写真から物語は一気に別の展開を見せる。そしてもう一人の主人公新城喬子の行方を探すドラマになる。
その二人の共通の暗い影が破産者と言うものだった。


この小説、結局関根彰子も新城喬子もドラマの中では表に一度も表れることなく、二人と出会った者の口から語らせている。それでいて二人の生き様ははっきりと捉えられる。


物語は終局のクライマックスへと息もつかせず持って行く。
最後にチラッと本間俊介の前に新城喬子の後ろ姿を見せてドラマは終わる。
最期に新城喬子の現実の言葉を聞きたいとも思う物足りなさがあるものの、そんな含みを残したところが良いのかも知れない。


なんとなくストーリーでは新城喬子が美化されていると思う。
結局自分の幸せを、他人に成りすますことで得ようとするわけで、名前を奪われた被害者の不幸の上に成り立っていることをついつい忘れてしまいそうな結末だ。

2013年03月26日

タイガー・ウッズ復活

プロゴルフの米国男子ツアー「アーノルド・パーマー招待」でタイガー・ウッズが今季3勝目、通算77勝を挙げて、約2年5か月ぶりとなる世界ランキング1位の座に返り咲いた。


2009年に女性問題による醜聞や離婚問題でタイガーのカリスマ性が剥げ落ちて以来、僕はもうタイガーの時代は終わったと思っていた。


そりゃあ、あれだけ世界中で不倫スキャンダルが取り上げられたらゴルフをする環境ではなかっただろう。
それが練習を重ねて世界ナンバーワンに帰り咲くとは・・
まさに不死鳥のごとし。


やはりゴルフ界にはタイガー・ウッズがいないといまいち盛り上がらない。
これで石川遼クンが頑張ってくれたら日本のゴルフ界もさらに盛り上がるのだが・・
これで今年のマスターズが楽しみになってきた。

2013年03月11日

鎮魂の一日

今日は日本列島が鎮魂の一日となった。
テレビを付けているとどこのチャンネルも大震災関連。
涙腺が緩んでしまって、テレビから聴こえる話が耳に入って涙ばかり拭いている。


今度の大震災による破壊で東北地方が日本の中で果たしていた役割のいかに大きなモノであったか改めて痛感させられた。
漁業や水産加工業はもちろんのこと、農業にしても工業にしても日本と言う国を支え、我々の暮らしを支えてくれていたのだと実感した。


大自然は冷酷非情だが、日本人は熱い思いで被災地への支援をそれぞれの立場でしていかなければならないのだと思う。
被災地の人々も我らの家族だという共通の思いを強くした。

2013年03月10日

春が来た!

春が来た。春が来た。花粉も来た。黄砂も来た。PM2.5も来た!
遠くの山々ではなく近くの建物もおぼろに見える。
お蔭で目は痒いしクシャミは出るし(涙)


春霞と聞けば、遠く平安の昔より和歌にも歌われ春のおぼろとして眠くなるほどのどかでゆったりした気分にしてくれる言葉だったはず
ところが現在の春霞の正体は大量の砂埃と聞けば、とてもその空の下でのんびりとしてはいられない。


それでもかつては黄砂が遥かゴビやタクラマカンの砂漠やシルクロードの地から来ているというロマン?が我が心にはあった。許せると思っていた。


ところが今では、車のフロントガラスは汚れるし、洗濯物も外には干せない。
おまけに今年はPM2.5なる汚染物質も黄砂とともにやってくるとなると日本の地理的環境が恨めしくなる。

2013年02月22日

消えてゆく方言の味

最近自分の娘に使い慣れた方言でしゃべると『それ、どういう意味?』と聞き返されることが何度かあって、はっと気がついた。
もうだんだんと地方独特の言葉がすたれて行っているのではないかということだ。これは少しショックだった。


小学校の時、東京から転校してきた子供がいて、その子のしゃべる東京の言葉が外国の言葉のように聞こえた。
当時はまだテレビもなくて標準語を聞くことはラジオだけだった。



だから地方の独特の言葉やイントネーションは浸食されることなく残されてきた。
ところがテレビの普及や交通手段の発展で国内の移動が活発になるなどで地方と中央の交流が活発になると地方の言葉がだんだんいわゆる標準語なるものに取って代わられるようになってきた。



最近 世界標準から取り残された日本独自の商品を“ガラパゴス”ということが言われているが地方の言葉、いわゆる方言にガラパゴスはないようだ。
どこの地方の方言も標準語の波に洗われている。



電車の中でおしゃべりしている女子高生の言葉に独特の方言はあまり聞かれない。
その代わりに独特の現代の若者言葉が飛び交っている。



いみじくもこのことを私の好きな作家、山形県鶴岡市出身の藤沢周平さんがエッセイ集『周平独言』の中で言っています。
ちょっと転記します。



「ことばの味」・・ 藤沢周平著『周平独言』より
『・・・ところでこういう方言の悲劇は、テレビ以前とテレビ以後で、ずいぶん変わってきたのではなかろうか。
最近の若い人たちは、恐らく私たちの年代のようには言語コンプレックスを持たないだろうし、仮に地方から東京に就職しても、東京言葉に馴れるのが早いのではないかと思う。
むしろ私は近頃、純粋の方言が失われることをひそかに気に病んでいる。
美しい単語、含蓄に富んだ言い回しなど、方言には捨てがたい味があるわけだが、郷里に帰っても、そういう本物の方言が、年々聞かれなくなってきたようである。
郷里に帰ると、私は出来るだけ正確な方言で話すことにしている。
そうするといかにも心が落ちつき、借りものでない言葉を喋っているという気がしてくるのだが、郷里の子供たちは、そろそろ私が話す方言がわかりにくくなっているようである。
最近二、三の小説に、私は郷里の方言を使っているが、失われていく方言に対する私の一種の焦燥感が、そういうことをやらせているとも言える。』 以上



・・・ 藤沢周平さんがこのエッセイを書いたのは“あとがき”の昭和五十八年から推測してさらに二、三年前なのだと思う。
方言がすっかりなくなる日がいずれ来るのかも知れない。