2017年01月06日

何歳から高齢者?

今日のニュースに高齢者の定義を10歳延ばして75歳からにする案が浮上しているとあった。

確かに65歳から高齢者扱いはちょっと早い気がする。

僕の祖父は僕が中学校の2年生のとき75歳で亡くなった。

老衰による大往生と当時言われた。確かに中学生の僕から見て祖父はまさにおじいさんだった。


僕も今その歳になってみると、あの時のおじいさんよりはるかに若い気がする。

食生活を含めて日々の暮らしが当時は空想もできないぐらい向上した結果。

でもこれが幸なのか不幸なのかは分からない。


なぜならそれは、誰かが言っていたように寿命が延びたからと言っても、その延びた年数は、個々の人生で幼少期、青春期、壮年期、などにそれぞれ按分するのではなく、老年期だけにプラスされるのだから。

と言うことは、老年期だけがどんどん延びることになる。

益々老年時代をどう過ごすかが問われる。


2016年10月09日

秋祭り

祭りの太鼓の音が遠くで、近くで聞こえている。子供の頃は神輿の後ろを付いて部落中を歩いたものだ。

青年時代は都会で就職していたので神輿の担ぎ手にはならなかった。
しかし最近の我が町の祭りはなんだか静かになってしまって昔の活気がない。
ただ子供神輿だけは相変わらず『ワッショイ!ワッショイ!』と元気よくまわっている。

足首にギブスをして松葉づえ生活なので動きがとれない。写真を撮って張り付けたくても写真が撮れない。




2012年11月02日

老人力

赤瀬川原平さんの造語に“老人力”があります。
一部本人の言葉を借りると・・・


『歳をとって物忘れがだんだん増えてくるのは、自分にとっては未知の新しい領域に踏み込んでいくわけで、けっこう盛り上がるものがある。
 宇宙船で人生に突入し、幼年域・少年域・青年域、と何とか通過しながら、中年域からいよいよ老年域にさしかかる。
そうするといままでに体験されなかった“老人力”というのが身についてくるのだった。
 それがしだいにパワーアップしてくる。がんがん老人力がついてきて、目の前にどんどん「物忘れ」があらわれてくる。』


そしてこの“老人力”は誰でも簡単に手に入れることはできない力だと赤瀬川原平さんは言います。
長い長い人生を、それこそ山あり谷あり病気あり結婚あり仕事があり定年退職あり、さらに親しい友との死別ありと色々な山坂を乗り越えた末にやっと手に入れることができるのが“老人力”という複雑なエネルギーなのです。


この複雑なエネルギーがかなりのパワーを持ってくるのが70歳という年齢からだと最近つくづく感じています。物覚えはまずムリ。体力、筋力はほぼナシ。


せっかくこの歳になって手に入れた貴重な“老人力”。
すでに何人かの親しい友は“老人力”を手に入れる前に亡くなりました。
ならばこれから益々パワーアップする“老人力”をじっくり噛みしめてやろう。

2012年10月01日

雑草魂



zassou.jpg


君のようにどこでも生きていけるたくましさがあったら
    今のような侘びしい暮らしにはなっていなかっただろう・・




2012年03月05日

71歳でオリンピック選手

ロンドン五輪の馬場馬術代表に70歳の法華津寛さんが決まったということです。
オリンピック開催時には71歳になるそうです。


“老いて益々盛ん”とはこの法華津さんのような人を指すのでしょう。
そして法華津さんはインタビューで語っておられます。


『歳を取っていることに感謝している』
確かに自身の最年長記録を塗り替えることで注目を集めているわけですから・・。


またこうも言われています。
『年齢がいっても続けていればそれなりの結果が出ることを伝えたい』
まさに継続が力になり。
続けることで結果が出ることをモチベーションにして日々頑張りましょう。

2012年02月23日

高齢者とは?

一体『高齢者』とは何歳からを言うのだろうか?
国の考え方からいうと65歳からのようですが、道路交通法によれば70歳過ぎたら高齢運転者標識という、いわゆる「四つ葉のクローバー」マークを貼ることが一応決められているようです。
では『敬老の日』の敬老の対称年齢は何歳なのか?


今日のニュースによると、65歳以上を一律に「高齢者」として「支えが必要な人」と捉える固定観念を見直して、健康で意欲と能力のある65歳以上の人には、支える側にまわってもらうということのようです。


これは適齢の高齢者にとって喜んでいいのか・・・?
高齢者とは自分が高齢者だと思い始めたらそこから高齢者になるのでしょう。

2012年02月04日

『三屋清左衛門残日録』

私は藤沢周平さんの小説のファンです。
薫り高い平易な文体で日常の暮らしの中の風景を描写します。


その藤沢作品にハマるきっかけの作品が『三屋清左衛門残日録』です。
主君の側用人という重職までなった三屋清左衛がその職を辞してからの日常生活を短編で連ねたものです。


文庫本の初めのころを少し長めに引用させてもらいますと・・・


『・・・したがって、隠居して勤めをひき、子供に家を譲ることについては、仕事の上の心残りも余分な感傷の類も一切なかったつもりである。
隠居してあとは悠悠自適の晩年を過ごしたいと心からのぞんでいたのだ。
清左衛門が思い描いている悠悠自適の暮らしというのは、たとえば城下周辺の土地を心ゆくまで散策するというようなことだった。


散策を兼ねて、たまには浅い丘に入って鳥を刺したり、小川で魚を釣ったりするのもいいだろう。
記憶にあるばかりで久しく見る機会もなかった白い野ばらが咲きみだれている川べりの道を思いうかべると、清左衛門の胸は小さくときめいた。


ところが、隠居した清左衛門を襲って来たのは、そういう開放感とはまさに逆の、世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情だったのである。
そして、その奇妙な気持の萎縮が、数日して自然に消えたとき、清左衛門はそのものがどこから来たかをいささか理解出来た気がしたのだった。


隠居をすることを、清左衛門は世の中から一歩退くだけだと軽く考えていた節がある。
ところが実際には、隠居はそれまでの清左衛門の生き方、ひらたく言えば暮らしと習慣のすべてを変えることだったのである。


勤めていたころは、朝目ざめたときにはもうその日の仕事をどうさばくか、その手順を考えるのに頭を痛めたのに、隠居してみると、朝の寝ざめの床の中で、まずその日一日をどう過ごしたらいいかということから考えなければならなかった。


君側の権力者の一人だった清左衛門には、藩邸の詰所にいるときも藩邸内の役宅にくつろいでいるときも、公私織りまぜておとずれる客が絶えなかったものだが、いまは終日一人の客も来なかった。


清左衛門自身は世間と、これまでにくらべてややひかえめながらまだまだ対等につき合うつもりでいたのに、世間の方が突然に清左衛門を隔ててしまったようだった。多忙で気骨の折れる勤めの日日。
ついこの間まで身をおいていたその場所が、いまはまるで別世界のように遠く思われた。


その異様なほどの空白感が、奇妙な気分の原因にちがいないと清左衛門は納得したのである。
そしてむかしにもどることが出来ないとすれば、その空白感は何かべつのもので、それも言えば新しい暮らしと習慣で埋めて行くしかないことも理解出来た。
うかうかと散歩に日を過ごすわけにもいかぬらしいと、清左衛門は思ったのである』・・以上転記


そして清左衛門の隠居後の生活がスタートします。
友人の 町奉行が抱える事件や、昔通った剣道の道場を覗いたり、知人やかつての同僚が絡む事件の解決に奔走したりと、老後をそれなりに充実して送ることになります。


私は友人から定年の通知を受け取ると決まって、この『三屋清左衛門残日録』を贈りました。


2009年08月27日

定年後の暮らし

定年後の人生といいますと、第二の人生とか、老後とか言いますが、一般的には夫が60歳に達して定年になって身も心も勤め先から解放されて自由になったときからと言えます。


いよいよ“我が人生”も最終章と言いますか、ホームストレッチに差し掛かったと言いますか、とにかく「終わりよければ全てよし」と思って、終わりをよくするためにこれからをいかに“よく生きるか”を考えてみましょう。


終りよくするためには・・・・まず

● 健康
● 生活費
● 趣味・生きがい
● 夫婦のコミニケーション


これらがうまく調和がとれていることが大切なことです。
これからこれらの問題を“定年後の悩み”として取り上げていこうとおもいます。


かくいう私も3年前に定年になりました。
それからパソコンを自習し、ブログに挑戦しようと決心したところです。


今後ともよろしくお願いいたします。