2013年03月27日

『火車』宮部みゆきを読む

久しぶりに海音寺潮五郎さんの歴史小説が読みたくなって、まだ読んでいない作品を探しに本屋さんへ行ったのだが潮五郎作品は文庫本の棚にも全くなかった。


僕の知らない作家がふえている。
相変わらず東野圭吾の小説がたくさん並んでいる。僕は1冊も読んでいない。
宮部みゆきの本も結構置かれている。


宮部さんは大の藤沢周平ファンだと色々なところで書いている。
以前何かを読みかけてなかなか読みづらくて途中で投げ出して以来、1冊も読んでいなかったのだが何気なく手にしたのが、『火車』という小説。
これは山本周五郎賞作品だと書いてあった。


周五郎は昔かなり読んだので懐かしくなって『火車』を読む気になった。
読み始めると意表を突く展開から目が離せなくなって一気に読んでいた。
で、ふと思ったのがこの小説の主人公は誰なんだろう?


大きい流れは、公職中にケガをして休んでいる刑事の本間俊介が、親戚の若者に依頼されて突然失踪したその若者の婚約者を探すというもの。
その女性の名前は関根彰子といい、かつてカード破産者だった。女性の勤務先や破産の時の弁護士を訪ねて関根彰子を探す。


その時の弁護士の話として「自己破産は特に金銭にだらしのない人間がなるわけではない。いたって普通の、真面目な人が陥る事が多い」という部分は宮部さんがこの作品で言いたかったことなのかと思った。
作品の中でこの弁護士の言葉だけが妙に浮いていたように思った。


その弁護士に本間俊介が見せた新城喬子の写真から物語は一気に別の展開を見せる。そしてもう一人の主人公新城喬子の行方を探すドラマになる。
その二人の共通の暗い影が破産者と言うものだった。


この小説、結局関根彰子も新城喬子もドラマの中では表に一度も表れることなく、二人と出会った者の口から語らせている。それでいて二人の生き様ははっきりと捉えられる。


物語は終局のクライマックスへと息もつかせず持って行く。
最後にチラッと本間俊介の前に新城喬子の後ろ姿を見せてドラマは終わる。
最期に新城喬子の現実の言葉を聞きたいとも思う物足りなさがあるものの、そんな含みを残したところが良いのかも知れない。


なんとなくストーリーでは新城喬子が美化されていると思う。
結局自分の幸せを、他人に成りすますことで得ようとするわけで、名前を奪われた被害者の不幸の上に成り立っていることをついつい忘れてしまいそうな結末だ。