2013年02月20日

君台観左右帳記

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最近、本棚から何年も開いたことのなかった古い茶の湯関連の本を取り出して読んでいる。
その中の1冊に『君台観左右帳記』がある。
これは茶の湯の成り立ちを見る場合の基本の本と言ってもよいのではないか。
とくにこの世界文化社から出た訳注者の「村井康彦文学博士」による本書は実にわかりやすく解説された好著である。


茶の湯(茶道)は利休により完成されたと多くの人が考えているようですが、そこに至るまでにはまず多くの数寄者が試行錯誤を繰り返しています。(こういった話もいつかはしてみたい。)
『君台観左右帳記』の成り立ちは1363年ころとされ、利休の活躍した1580年代から200年以上古い時代です。


その出発点として“会所”という場所がある。
ここでは茶会はもとより花会や和歌・連歌の会などが催される会場とされた建物があり、それが新しい建築様式である書院造りとなっていく。
その座敷飾りの室礼(しつらい)として考えられたテキストのようなものが『君台観左右帳記』と思えばよさそうです。


ここで飾るものとしていわゆる“唐物”の等級付けがなされている。
当時の文人の芸術品を観る目の高さがわかる。それは現代にも通じる一級品であり現在国宝となっている唐物はここでも「上」となっているようです。
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当時の上流階級では唐物を持つことがステータスであった。
いわゆる唐物偏重と言われるくらい会所や書院座敷で飾られるものは唐物でした。


この座敷飾りで大きな役割を果たしたのが「同朋衆」と言われる人たちで、彼らは室町将軍に近侍し幕府の中で雑事を司る一群の人たちのことで阿弥(あみ)号を持っていました。
職掌として絵もよくし連歌の宗匠でもあり唐物の目利きにも長けていたところから同朋衆が体験的に考案した室礼の集大成を能阿弥や相阿弥が完成させたものが『君台観左右帳記』となったものらしい。
この阿弥が茶の湯の成立に深く関わったことが禅宗と茶の湯のつながりになっていく。(この話もいずれ・・)


それにしてもこの中の絵画にしても陶磁器にしても漆器にしてもすばらしいと言うほかない。
侘びさびの考案の原点にはこうした唐物偏重の反動があったのだろうか。
持たざる者、持ち得ざる者の工夫が侘びに繋がったのか?